震災から5か月、旧三陸町を訪ねて

2000年卒業生 岡野 伸行
8月13日

8月13日に相模原キャンパスを出発し17日早朝に都内に戻るスケジュールで、初盆を迎える三陸へ向かいました。
私にとって発災後2度目となる三陸訪問。
早朝、越喜来バス停に到着後、最初のイベントの会場である浦浜の越喜来中学へと向かいました。

GWに向かった発災後最初の訪問の際は、瓦礫の山ばかりでなく、まだまだ置き去りのままの瓦礫もありました。 しかし現在では瓦礫の山以外は全て更地となり、それはまさに寂寞の光景。
多くの犠牲者を出した「三陸の園」の前で手を合わせ、目を閉じ御冥福を祈りました。
これから復興へと向かう被災地であるが、常に犠牲になった無念の御霊に対する哀悼の思いは常に持ち続けなければならないと思います。
その「三陸の園」の脇を流れる浦浜川。津波が遡り、川の中はぐちゃぐちゃであったが、橋の上から川を覗くと、その流れには体を翻しアカを食む 沢山のアユの姿が見えました。
現在は管理する漁協がない浦浜川にいるアユたちは、紛れもなく天然遡上のアユ。3月11日は季節的にまだ海にいたと思われるが、この川の中を 遡上し今、命を繋いでいる。野生の魚たちに逞しさと希望を感じたのでした。

 
8月14日「okirai summer2011」

越喜来中学校を会場に、「okirai summer2011」と言うイベントが開催されました。
実行委員長は、卒業生の中にも記憶にある方がいるかもしれませんが、研修所近くの学生アパート「中野荘」の大家さん(私が在籍時)のお孫さん である中野圭君。
私の学生時代に、軽音部のギターが上手かった友人の部屋で、当時中学生だった圭君がギターを教わっていたのを今でも覚えています。

      

水産学部卒業生の星野裕也君

このイベントはライヴなどのステージパフォーマンスが中心となるイベントで、どちらかと言うと若者向けのイベント。
地元出身アーティストや人気アーティスト、卒業生のシンガーソングライター星野裕矢君のライヴ、そして北里大学卒業生有志による「大漁踊り」が特 別バージョンで披露されました。
御年配の方たちは懐かしそうにご覧になられていました。

今回の為に作った口上です。

   「水産放浪歌口上」

     心たけくも海神なれど
     男とうまれて情けはあれど
     大漁心に 波乗りてゆく
     三陸、故郷に、錦を飾る

     波のただよう南氷洋は
     男多恨の身のかけどころ
     胸に秘めたる大願なれど
     三陸、故郷に、錦を飾る
     三陸、故郷に、錦を飾る

 
会場内を動くうち、数名の卒業生やアパートの大家さん、学食のおばちゃんたちと会うことができ、色々とお話を伺うことができました。
旧三陸町内は全ての避難所が解散となり、現在は仮設住宅、もしくは学生アパートにて生活をされています。
三陸も連日30℃を超す暑さの中、越喜来中学校にて色んな思いが詰まったイベント。会場内には多くの露店が並び、その多くのテントは北里大学 より貸し出されたものであったことを、ここにお知らせしておきます。

8月15日「JDOS Cock-Off 越喜来」

北里大学三陸研修所で8月15日、越喜来に縁のあったJDOS(ジャパン・ダッチ・オーヴン・ソサエティ)の会員が「被災地の子どもたちに、 美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげたい」との思いから企画した復興支援イベント「JDOS Cock-Off(クック・オフ) 越喜来」が開催されていました。

        

8月16日 「三陸港まつり」

三水会のHPにもある通り、卒業生の皆様からの義援金が渡された、三陸港まつり。
在学中に花火などを見に行かれた方も多いと思います。
元来この祭は、毎年8月16日に開催されており、初盆の方の家々を地元の郷土芸能である剣舞(けんばい)が回って供養が行われるとともに、夜 には水難・津波等の被害者、魚介類の霊などをご供養する為の灯籠流しや花火大会等が行われていました。
この震災を受け、資金等の面からも開催が危ぶまれていましたが、様々な支援のおかげで開催される運びとなりました。
本来は浦浜の越喜来漁協などがメイン会場でしたが津波の被害を受け、中央公民館にて行われました。(中央公民館も津波の被害を受け、二階まで 津波の跡が残っています)震災初年度の開催だけに、鎮魂、慰霊の思いが詰まった厳かな雰囲気で始まりました。)

   

        よこがけ商店のおじさんと訪れていた在学生

会場では卒業生、現役生の顔もありました。そこで会う三陸で青春時代を過ごしたものが口にするのは「何とかしてこの地に恩返しをしたい。」と 言う事に尽きます。
またこれは、都合により来られなかった多くの卒業生共通の思いでもあると思っています。
そんな思いもあり、現三水会会長である、高橋明義先生の挨拶の中にあった「これから上がる花火には、卒業生の気持ちが込められています」と言 う言葉が、私の心には響きました。

    

打ちあがる花火を見上げて涙を流す方、喜ぶ子供達の笑顔。卒業生の思いの詰まった花火が越喜来の空を彩りました。大きな花火大会ほどの数はな くとも卒業生の思いは、越喜来の皆様の心にとどき、その音はきっと無念の御霊にも届いていると思います。

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港まつりが終わり、私は東京へと戻りました。地元の方との別れ際はこみ上げてくるものはありました。
それでも三陸の復興はまだまだ長い道のりが始まったばかりです。
初盆に、「迎え」そして「送った」多くの御霊の鎮魂、供養があってこそ、ここから真の「新たな一歩」が始まります。
学生時代、地元の方との付き合い方はそれぞれであったと思います。 私個人的には「支援」と言うよりは「応援」であり「恩返し」です。行くだけで喜んでくれる人がいる、酒を酌み交わすだけで笑顔になる人がいる、一 緒に釣り糸を垂れるだけで気持ちが落ち着く人がいる。個人個人でできる事は異なりますが、その根底に「三陸を思う」気持ちがあればそれでいいと思 います。
もちろん全ての被災地が一日も早く復興することを願って止みませんが、我々はその気持ちが三陸に少し偏っていても仕方がないと思います。
青春をあの地で過ごしたのですから。

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最後になりましたが、水産学を学んだものとして、やはり三陸の漁業の今後が気になりますし、皆さんにもどうする事はできないかもしれないけれど、 気にしていてほしいと思います。ウニやアワビの姿は壊れた防波堤の上からでも見る事はできましたが、あれだけ越喜来湾に浮いていた養殖棚のブイ は、現在全くと言って良いほどありません。
これからの町の復興は、漁業の復活なくしてあり得ません。
現在は秋のシロサケの定置網に向け、動き始めている漁師さんもいらっしゃいます。
願う事は誰にでもできると思います。近年回帰数が減っていると言われるシロサケが、沢山戻ってくる事を願うほかありません。
「美味しいイクラが食べたい!」「美味しいウニが食べたい!」そんなエールを送るのも、北里の卒業生だからできる事だと思います。
町が復興した際には、地元の方も交えて巨大な同窓会を開いてみたいです。

現地はまだ余震が続いています。また宿泊先等も、現場の復旧工事関係の方で埋まっている事が多いです。
三陸を訪れる際は、遠野辺りの内陸までを宿泊先の視野に入れ、充分注意して行動してください。

(使用写真の著作権は岡野氏、もしくは「ogPJT(okirai goblin project)」に帰属します)