大学及び三陸の被害状況(3月30日取材)

東北地方太平洋沖地震の被害状況

3月11日発生の東北地方太平洋沖地震による大津波で岩手県三陸沿岸も想像を絶する被害をうけました。
懐かしい、三陸キャンパス、街並み、下宿・アパート・・・現状には、言葉もありません。
当会会員(水石氏 10期)によるレポートが入りましたので、ご報告いたします。
写真・レポートは水石さんから提供していただきましたが、著作権を放棄したわけではありませんので、ご配慮の上取り扱ってください

今後、三水会も出来る限りの支援、情報提供をしていきたいと思っています。
皆様のご支援、ご協力をお願いします。

*写真の上でクリックしてください、大きな写真でご 覧い ただけます。

3月30日
3月30日に大学の許可の下、大学手配の往復バスを利用して状況把握の為水産学部を訪れた。
3月30日
高橋明義三水会会長が、北里大学海洋生命学部災害対策本部長代理 として活動をしていました。

北里大学海洋生命学部災害対策本部長代理・海洋分子生物学・高橋教授に話しを伺ったところ、
「地震発生直後から全生徒・職員の安否確認を最優先に下宿先一軒一軒出向きながら実施。
同時にライフラインの確保を行った。現在では校舎の内2号館のみ自家発電により電気の使用が出来る状態。
但し、自家発電の燃料となる軽油が不足している。」とのこと。かなりお疲れの様子でした。

その後校舎内を見て回った。
螺旋階段を上るとひび割れた箇所が見られる。
地震の時、ホルマリン漬けになっていたガラスビンが床に落ち、割れた時の臭いが今だ鼻に付く。
研究室は足の踏み場がないほどに物が散乱していた。

水族病理学の筒井講師に詳しく状況を伺う。
「物資に関しては体育館横のグラウンドに3度ほど自衛隊や米軍のヘリコプターが飛来、物資を届けてくれた。
また白金、相模原の他に十和田からも物資が届けられているので生活は出来るが、杉下教員住宅等浦浜地区、崎浜地区には電気が来ておらず、 職員の中には大学に泊まっている人も少なくない」と。

水圏生態学の朝日田教授は
「崎浜の平地部や浦浜の広範囲では壊滅状態。津波対策を考えた街づくりをしなくてはならない。
吉浜は過去の経験から平地に田畑を作り、人家は高台に作ったので今回の被害は1軒が流されただけで済んだ。
防潮堤だけでは防ぎきれないので行政も安全な街づくりを考えて頂きたい。今年の一年生は4年間相模原で授業することが決まっている。
三陸を知らないまま卒業していくのは寂しい。早く三陸で授業が再開される事を祈って止まない。」と。

その後崎浜、浦浜、大船渡を見て回った。崎浜は公民館の下80m辺りまで被害があった
(漁協方面から上がって来て、烏頭へ行く。(本道と寿荘方面に行く右折の道との二股から下20m辺りまで)

浦浜から大学までの間には道路に亀裂の出来た箇所が多くあります。
そのまま車を走らせるとパンクや事故にいつながりかねません。
そこで亀裂箇所には赤い印を付けた棒を立てています。但し、全ての箇所ではありませんので十分気を付けてください

平地部で残っていたのは漁協や橋本商店など鉄骨建ての建物のみで、道路は確保されていたが、周りはがれきの山であった。
近くにいたおじいさんに話を伺った。
「崎浜で60棟位が流された。以前の大津波も経験したが今回の方が恐ろしかった。
防潮堤の3m位上を津波が越えて来た。一度引いたと思ったら直ぐに二度目の津波が来てしまった。
借金をしてホタテの養殖をした人は借金だけが残る」と。

浦浜は更にひどい。防潮堤は跡形も無く河口は地形が変わっていた。津波は越喜来診療所辺りまで来た。
佐々木旅館や大船渡市役所三陸分署(旧三陸町役場)は外見は残っているが、中は倒壊した建物と同じ。

近くにいた人に「泊で三陸鉄道の線路が津波で民家の方に流れてしまった」と伺ったので、確認してみた。
三陸鉄道は唐丹でも海抜30m程の高さにある橋が落ちているので、全面開通が出来るのかどうか。
大船渡駅前に行って見た。駅が何処にあるのかわからない。駅舎でプラットホームのみが残っていた。
駅を南(陸前高田方面)に向かうと500m位で線路が途切れる。50mほど線路が山側に流されていた。


今回被災地を見て、復興までにかなり長い年月の掛かる事が分かる。
早い復興を祈るばかりである。
また三陸に残られて任務に当たられている方々には心より敬意を表する。  (水石 博彦)